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心と記憶

 「心が和む」、「心が落ち着かない」、「心が乱れる」
 私たちは日常において、深く考えることなく「心」という言葉を使います。
それでは、ここで問うことにします。心とはいったい何でしょうか。
改めて考えてみると、よくわかりません。でも、なんとなく体の中に心というものがあるような気がします。目には見えませんし、実体のつかめないものですね。

 

 実は、心の正体は記憶です。
 記憶こそが心なのです。

 

 例をあげて考えてみましょう。
 Aさんという人がいます。あなたはAさんのことが大変苦手です。Aさんの顔を見ただけで、心は落ち着かずに揺れ動き、体はしなやかさを失い緊張します。心が嫌がっている状態です。
 あなたの心がAさんのことを嫌がるのはなぜでしょうか。それにはいろいろな理由が考えられます。

 

たとえば、
以前Aさんと接したときに不快な言動をされた経験がある。
過去にAさんにそっくりな人物と接したことがあり、その人にまつわる嫌な思い出がある。
なんとなく生理的に受け付けない。
などなど。

 

 このように考えていくと、私たちは過去に体験したことに関する記憶をデータとして、快、不快を判定していることがわかります。「理由はわからないけれど、なんとなく受け付けない」、そのような漠然とした不快を感じる場合も、よく覚えていないようなぼんやりとした記憶、たとえば遠い昔に体験した事に関する記憶の断片が作用していることがあるのです。
 つまり、過去の記憶こそが、現在の状況を判定するキーとなり、私たちの言動を管理しているといえます。

 

 心が記憶であるならば、私たちの心というものは、不確かなものだといえます。記憶とは実に曖昧で、主観によってすり替えられたり消されたり誇張されたりします。ときとして、数時間前に何をしていたかですら正確に思い出せないこともありませんか? 刑事事件で、犯人を目撃した人の証言が、甚だ誤っている事例は多々あるようです。黄色のシャツを着ていたと証言していたのに、実際には赤いシャツだったということもあります。これほど曖昧なものに私たちはあらゆる事象に対する判定を任せているのですから、あまり信用しすぎないようにしたいですね。

 

 ここで先ほどのAさんの例に戻りますが、Aさんに対する苦手意識は、もしかすると、心という名の記憶が作り上げた幻影であるかもしれません。
苦手な人だと思い込んでいても、心の判定を気にせずに接してみれば、実はすごくいい人だった、なんてことがあるかもしれませんよ。

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